錦帯橋橋脚と穴太(あのう)積み技術伝承

著者: 安ヵ川 常孝 講演者:  /  講演日: 2008年09月29日 /  カテゴリ: 北九州エコタウン・山口  /  更新日時: 2011年03月03日

 

北九州・山口研修旅行報告   080929

 

錦帯橋橋脚と穴太(あのう)積み技術伝承

安ヵ川 常孝  技術士(環境、建設、衛生工学、総合技術監理)

 

平成20年度の()日本技術士会近畿支部環境研究会研修旅行として、929()に北九州市を訪れエコタウンの諸施設を見学した。私はその前日、岩国コースの旅行に参加し、錦帯橋と岩国の町割を観光した。

錦帯橋の模型作りの後、錦帯橋をわたり、ロープウェーで岩国城址まで足を伸ばし、錦川両岸の町並み等を含む文化的景観を城から眺め、いくつかの史跡についてガイドさんの丁寧な説明を受けた。この中で、“錦帯橋と岩国の町割を世界遺産候補として提案したが、継続審議になっている。その理由のひとつに、吉川広嘉が建設した当時の橋脚は石材を空積みした穴太積みであったが、昭和259月に発生したキジア台風の洪水により橋脚二基が崩壊し流出した。その修復に穴太積みでなく、コンクリートで内部を補強したことが真実性にかけるとされ、再検討の課題になっている。”と解説された。3世紀半の間に流域の開発が進み、降雨時に錦川の流量も大幅に増加しているので、どんなに工夫しても橋脚を穴太積みで再建することは、現在の河川構造物構造基準では不可能であろうと思った。しかし、山口県、岩国市は再度世界遺産登録に向けて努力されている。橋脚構造に穴太積みの技術を継承することについて、どのように論議されているかに関心を持ち調べてみた。

「錦帯橋と岩国の町割」は、世界遺産暫定一覧表掲載資産として平成18年度に提案したが、継続審議になっている。文化庁から与えられた継続審議の課題のひとつに“資産の真実性”があり、該当する文化庁の文面を以下に引用する。

○ 資産の真実性に関しては、形態・意匠、材料・材質、位置・環境のみならず、用途・機能、精神・感性、技術の継承及び担い手の育成などの観点から総合的に判断することが必要である。(共通課題アの1項目)

○ 特に橋梁については景観の要素として優秀な価値を認めるが、材料の真実性が低い点を鑑み、技術の確実な継承及び技術者の育成の観点をも含め、真実性の総体に関する十分な検討と証明が必要である。この点については、国内外の専門家との合意形成を確実に進める努力が求められる。(個別課題の1項目)

 

平成19年度に山口県で「山口県文化財等活用調査研究委員会」を、岩国市で「岩国城下町エリアの文化的景観等検討委員会」を設置して課題に対する検討を行い、報告書を公表している。資産の真実性については当然のことながら錦帯橋上部工に焦点を絞り11項目に関して検討が加えられている。多少煩雑になるが順を追って報告書の内容を簡単に紹介する。

▽ 技術の伝承
木造橋なので、過去334年間架け替えを繰り返すことによって技術が継承されてきている。桁橋は約40年毎、アーチ橋は約20年毎に架け替えを行い、橋板や高欄の取替えは約15年毎に行われてきた。平成の架け替えでは幅広い年代から選ばれた地元大工により実施され、人から人への技術の伝統を重視している。今後の架け替えサイクルについては「岩国市錦帯橋みらい構想検討委員会」での検討結果、技術の継承を重視して架け替えサイクルを江戸時代に戻し、20年ごとに3年間の期間で行うことになっている。細部について小項目を設け、大工の技術、原寸図作製、型板作成、用材加工、仮組、組立江戸時代の技術の伝承システム、今後の伝承システムの各項目について過去と将来の取り組み課題が整理されている。

▽ 技術者の育成
本格的な木造技術の修業を積んだ大工でなければ、木材の加工が出来ないばかりか錦帯橋の架橋作業も行えない。木を観る技術により木材を加工する確かな技術が必要である。伝統的な木造技術をいかに伝え残していくかが、今後の錦帯橋の架け替えにおいて重要なポイントとなる。そのため、「岩国伝統建築協同組合」が中心となって、錦帯橋の構造などについて勉強会を開催しており、今後はより専門的な部門へと進めていく。錦帯橋架け替え用材として「錦帯橋用材備蓄林」を設置し、大径木用のヒノキやケヤキを育成しているが、間伐等により発生する丸太を利用し、加工や仮組などを行い技術者の育成を図る。

▽ 形状、意匠
創建時(1673)から現在に至る古図などの記録に基づき、桁構造、鞍木・助木などの補強部材、横振れ防止の振止、雨仕舞、腐朽対策などについて、現在の橋梁工学の視点から詳しく説明している。

▽ 材料・材質
この項目で石組み橋脚に触れている。キジア台風で崩壊した橋脚の写真も載せてあるが、「“躯体の表面石積はその外観に従来の感覚を出来得る限り残したいために、石材はなるべくもとの石材を集め使用した。”」と再建記録を引用し、「現在の橋脚表面に使用されている石材のほとんどは、流失を免れた創建当時の石材を使用していることが分かり、石材の真実性はある。」と記述されており、橋脚内部のコンクリートについては触れていない。

▽ その他
用途・機能、伝統・技能・管理体制、位置、セッティング、言語その他の無形遺産、精神、感性、その他の内部要素、外部要素、国内外の専門化との合意形成について項目ごと記述されている。

橋梁上部工に関しては、形態・意匠、材料・材質、位置・環境、用途・機能、精神・感性、技術の継承、担い手の育成などの観点について十分な検討がされている。しかし、橋梁下部工に関しては、表面の石材に関してのみ真実性と評価されている。

 

錦帯橋上部工の構造形式について報告書には「ヨーロッパにおいても木造橋の架設が活発化していた時期に架設された錦帯橋は、当時の日本国内の力学概念を超越した発想と、日本古来より脈々と続く世界にも卓越した木造建築技術が融合して生まれた、世界唯一の橋であり、顕著で普遍的な価値を有する。」と記述されている。

私は橋脚を穴太積みで構築した目的のひとつに、内部に栗石を詰めた空積をすることによって、橋脚内部を水が流下できる意図があったと思われる。報告書の材料・材質のところで“江戸時代における錦帯橋架け替えの主たる原因は、石組橋脚に埋め込まれた橋桁材が腐朽するためであるが、その他の部材は健全なものが多く、可能な限り再利用していることが古文書からも窺える。”と記述されており、橋脚内部の空隙を常に水が流下しており、橋脚の躯体そのものはキジア台風で崩壊するまで、橋脚としての目的を果たしていたものと思われる。3世紀半前にその発想で穴太積みによる橋脚を作らせたとしたら、この発想こそ世界にまれな文化遺産となろう。残念ながら、今の錦川で橋脚を穴太積みで構築すれば、橋梁下部工としての目的は果たせず、穴太積み橋脚を復元することは不可能である。

岩国藩第三代藩主吉川広嘉の発想は、橋脚を島と見立て、島を繋ぐ橋を並べたと伝えられているが、さらに、穴太積みで橋脚を作り、橋脚の中を自由に水が流れることを意図していたとすれば、そのとおり復元することが不可能な現在の錦帯橋は、吉川広嘉の発想を引き継ぐことが出来ず、世界文化遺産と認めてもらうのはきわめて困難であると思われる。


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