“安全・安心”と技術者
環境研究会 東北研修旅行 参加者報告
日 時:平成24年3月20~21日
場 所:宮城県
“安全・安心”と技術者
安ヵ川常孝 技術士(環境・建設・衛生・総合技術監理部門)
3月20日と21日、東北地方の研修旅行に参加した。20日の後半は2手に分かれたが女川班に参加した。仙台市内から石巻市を経由して女川町に向うバスの中、女川町の現地、女川町からホテルに向うバスの中で、株式会社復建技術コンサルタントの岩渕技師長から津波被害の状況、復興計画の関係者協議状況等について当事者としての詳細な説明を頂いた。受託した復興計画策定業務に関西の建設コンサルタントも参加しており、地元説明会への対応に関する東北人と関西人の気質の違い等について興味のあるお話を伺った。
21日午前中は多賀城市役所で総務部交通防災課の松戸主幹から被災と復興状況の説明を受け、質疑の機会を作っていただいた。参加した技術士からはインフラ復旧や廃棄物関連など専門業務に関わる質問が多く、松戸主幹から担当部署外なのに丁寧な説明を頂いた。
多賀城市での質疑やりとりで、日頃気にかけていることを思い出した。質問者は技術者であり、日頃インフラ整備や廃棄物処理等の計画策定や実務指導に携わっているので、防災や復旧に関する基本的なデータや事項を伺う。回答者は市役所職員で、個々の市民生活立て直しに追われているので、説明は市民の視点から具体的な事象の解説になる。つまり、質問者のステージは安全を対象に捉え、回答者は市民の安心をベースに答える。
科学技術は安心の領域をカバーできるか
私の素朴な疑問は、“科学技術が本当に安心の領域をカバーできるか?”である。
科学技術分野で安全を取り上げたのは平成13年3月閣議決定された「第2期科学技術基本計画」である。基本理念で目指すべき国の姿に、
「安心・安全で質の高い生活のできる国」―知による豊かな社会の誕生―が、
「知の創造と活用により世界に貢献できる国」―新しい知の創造―(ノーベル賞受賞者50年で30人)等と共に設定された。
その後「第3期科学技術基本計画」の、<理念3>健康と安全を守る<目標6>“安全が誇りとなる国~世界一安全な国・日本を実現”として政策目標に設定されている。
平成23年8月閣議決定された第4期科学技術基本計画では、基本計画の理念に②安全、かつ豊かで質の高い国民生活を実現する国が設定され、重要課題への対応で、
(1)安全課題達成のための施策の推進が設定されている。
科学技術基本計画の第2期(平成13年)でタイトルが安心・安全となっているが、第3期(平成18年)以降は安心の字句が抜けている。平成19年11月に文部科学省科学技術・学術政策局安全・安心科学技術企画室から“安全・安心科学技術について”が公表され、平成22年3月に科学技術・学術審議会研究計画・評価分科会安全・安心科学技術委員会から“安全・安心に資する科学技術の推進について”が公表されている。
第2期科学技術基本計画(平成13年)での位置づけは、新しい知の創造が最優先で、その創造された知による豊かな社会を「安心・安全で質の高い生活のできる社会」と表現していた。
安全と安心を分けて考えよう
第3期以降、安全・安心科学技術企画室が公表している資料では、安全と安心が一括りで扱われ、安全と安心が同一視されている。
科学技術で検討の対象になるのは安全である。数値解析や統計手法により安全率を考慮して計画や設計をする。安心は各個人の精神状況や経験により、起きた事態に対する認識が異なる。根拠のある数値で評価が可能な安全はまさに工学の分野であるが、安心は精神医学の分野であり、技術が入り込むことは不可能である。安全率の用語はあるが、安心率なる用語は成り立たない。その安全と安心が同一の尺度で、しかも一括りの用語で扱われているのが理解できないのである。
文部科学省の安全・安心科学技術企画室は、科学技術者が安全を保証する事象について一般国民は必ず安心できるという知的社会を目標にしたのかもしれない。しかし、福島原発事故で浮き彫りになった原発安全神話の崩壊は、“安全・安心”一括りの危うさを露呈したと言える。
政策の策定段階で目標理念として“安全・安心”を掲げるのは理解できる。これは、環境問題で、人の健康を守り生活環境を保全する目的で環境基準を設定するのと同じ理念といえる。しかし、技術士が技術士業務で関わる“高度の専門的応用能力”の範疇で“安全”確保は主業務であるが、対象が個々人の精神反応である“安心”はどんなに努力しても対象から外れる。
復興計画を策定する段階で、従事する技術者の安全に関する対応は東北人も関西人も同じである。しかし、地元説明会に参加した関係者は、策定された計画を“安心”の観点で評価する。この時点での関係者の反応に、長年の歴史・風土によって培われた気質の差が東北人と関西人の差になってあらわれたものと思われる。
技術士の論文で“安全・安心”の字句を多く見受ける。“科学技術は本当に安心の領域をカバーできるか?”がいつも私の念頭から離れない。