宮城県での研修と、福島県

著者: 藤橋 雅尚 講演者:  /  カテゴリ: 東北地区  /  更新日時: 2012年04月26日

 

環境研究会 東北研修旅行 参加者報告

日 時:平成2432021
場 所:宮城県

宮城県での研修と、福島県

藤橋 雅尚  技術士(化学、総合技術監理部門)

 

はじめに

阪神大震災に遭遇した当時、製品の保管先が壊滅して在庫が激減した上、補充生産や輸送もままならない条件ではあったが、他地域の支援を受けて何とか対応できた経験を持っている。今回の東日本大震災と津波に起因した原子力発電所の事故を受けて、何もできない立場ではあるが少しでも東北地方の実態を知り、応援したいと考え研修旅行実施のお手伝いをした。

現地研修では、東北支部のメンバーの全面的なご協力をはじめ、数多くの方々のご協力を得て、被害状況や復興立案、原因の究明と危機管理に向けた準備の大切さなど、多くを学ぶことができました。お礼を申しあげます。

研修会の報告書は、参加メンバー25人全員に作成いただいている。1,2日目は他のメンバーの報告と重複するため、要点と写真での報告にとどめ、滞在期間を個人的に1日延長して福島県に足を伸ばした内容を中心として報告する。


1日目320日)

仙台空港に着陸する前に、飛行機から見た海岸沿いは、殆ど家が無く津波のひどさを感じさせた。仙台空港は津波で長期間閉鎖されていたとは思えない復旧ぶりであったが、バスが仙台市方面に向けて走り出すとがれきこそ片付けられているが、一面の空地であり飛行機から見た景色と一致していた。この付近は放射性物質の影響は受けていないが、塩害による農地の回復はまだまだと思われた。

   農地に放置の船:仙台空港付近

講演を2件聞き感銘を受けたが、他の方が報告されているので省略し、仙台市の造成宅地の揺れによる被害、石巻・女川の津波被害について写真を中心として紹介する。

   

    平面の宅地が崩落してできた段差(塀が斜めになっている):仙台市折立団地

  

    真ん中にある赤いタンクは、津波で壊されたモニュメント:石巻

  

    女川町の津波被害(パノラマ加工):
       17mの津波で破壊され、がれきを片付けた町並みと倒壊したビル
        (左右の視野は180°、両端のフェンスが直線です)

   復旧中の女川漁港施設

 

2日目321日)

2日目の早朝、松島の見学に出かけた。松島湾は地盤沈下の影響はうかがえるが、津波は1メートル程度とのことで岸壁の海側が傷んでいる程度で平和な光景であった。

  

   松島の朝(パノラマ加工)と、松島遊覧船乗場の横の岸壁

 

津波の低かった原因は、下図右の万石浦(トックリ状の構造)で津波が殆ど無かったことと同様に、入り口が狭い構造(島がガード)のおかげとの説明である。湾の南端にある塩竃で4.6mの津波であったことを考えると、主に東の方向から押し寄せた津波が入り口の島でガードされ、残った力が塩竃方面に向かったためと推測され納得した。
多賀城市の見学、角田宇宙センターの見学報告は省略する。

    

     塩竃湾   松島湾           万石浦     女川湾

 

3日目322日)

この日は仙台でレンタカーを借り、福島県に向かった。福島第一原発の30km圏以内に入りたいが時間的な制約があり、通行止めの場合はやり直しが効かないので、30km圏の外側ではあるが比較的地上放射能の高い地域である、二本松市、相馬市を経由して海岸沿いに仙台空港に向かう予定で出発した。なお、GMシンチレーターを持参する予定であったが、センサー部分が故障し、事前に修理できず持参できなかったのが残念であった。

    福島県での移動行程

東北自動車道は無償であり、そこそこの交通量であったが快適に走行できた。二本松インターから先が、工事による大渋滞との表示が出たので、で降りようとしたところ出口が大渋滞し1時間以上を要したため、別途個人的に訪問したかった箇所をあきらめて、図のアルファベット順に走行することにした。

出口の大渋滞を抜け国道4号線(R-4)を外れると、方向へのR-459は地震による被害は感じられないが、交通が殆どなく、店舗らしいものもあったが開いている店は少なく、人を見ることさえあまり無い状況に一変した。普段のたたずまいは知らないが避難している人が多いのではないだろうか。

途中(二本松市)でドライブインと道の駅が開いていたので、野菜をたっぷり使った料理で食事をした。土産物を覗いたところ地場野菜を除いて、福島の土産がほとんど無かった。時間を急ぐため詳しく見ることはできなかったがタラの芽がとてもに安かったので購入した(おいしかったです)。
この値段は放射
の噂による被害のため売れ難いことに起因していると思われる。なお、これまでに得られている知見から考え、降下したセシウム137,134は地表部5cm以内に留まるため木の根からの吸収はほとんど無いこと、地上部への降下放射性物質の吸着による影響も小さいと推定されることから、検査をしても基準内であると推察する。

    タラの芽

二本松市から伊達市付近を経由して相馬市に向かう行程で、時々不思議な水田を見た。一部は昨年耕作したことが明白であるが、すぐ隣には1年程度は放置されたと見える水田がある。推察であるが、昨年度試験的に作付けした田と作付けを見送った田ではないかと思った。

    試験栽培田?

 

山道を抜けて相馬市に入り、海岸通りを通るR-6(常磐道)に入った。津波を受けなかった地域であり、福島第一原発から40km程度離れているので、一見何ごとも無い生活状態に見える。しかしコンビニに並んでいる加工食品を見ると、産地福島県と記載のあるものはほとんど見当たらず、宮城県と記載されているものがほとんどであった。これは海岸通り地区は、原発で南北に分断されており、相馬市から見ると仕入れ先を宮城県にせざるを得ないことが大きな理由と思われるが悲しい状況である。

海岸通りにはR-6が走り、さらに海側に福島県道38号が走っている。国道付近では地震の被害はあまり見あたらず一見普通の状態であるが、県道に向かって行くと様相が一変する。下図の上は水田であったことがわかるが、その先に行くと重機が所々に見える程度で放置されている。たぶん以前水田だったと思われるが水田跡とは思えない荒れ地になっており、道路も鋪装がはがれたままである。残念だがこれ以上進むと飛行機の時間に間に合わなくなる危険を感じ、国道に戻った。

  

   相馬郡新地町:津波の到達限界付近(パノラマ加工:視野約120°)

 

  

   相馬郡新地町:図中央の林の右寄り遠方に海が見えている(パノラマ加工:視野約150°)

宮城県に入り、山元付近から海岸方面に向かった。この付近は初日に見た空港北側地区より若干遅れている感触はあるが、福島県より復旧に向けた足取りが早いと感じた。今回の研修旅行では、揺れによる被害、津波による被害の状況視察と、事前に想定して対策を考え準備しておくことの大切さ、そして復興に向けての模索を学んだ。

一方、福島県の比較的放射性物質による被害の小さい地区でも、風評被害の影響を大きく受けているとを実感した。最近、スマートフォンは電磁波による被害が大きいという噂が飛び交っているそうである。現実は携帯電話と同レベルだそうだが、一旦噂が動き出すとあっという間に広がってしまう例と思われる。
技術士は正確な情報を把握し、理解しやすく伝えていく活動にも、注力して行く必要があることを再認識した次第である。

以上

 


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