環境研究会 東北研修旅行の報告
著者: 石川 浩次 講演者: / カテゴリ: 東北地区 / 更新日時: 2012年04月28日
環境研究会 東北研修旅行 参加者報告
日 時:平成24年3月20~21日
場 所:宮城県
環境研究会 東北研修旅行の報告
石川 浩次 技術士(応用理学、建設部門)
1.はじめに
去る3月20日、環境研究会企画による東北地方研修旅行に参加し、株式会社復建技術コンサルタントで行われた講演会と宮城県仙台市、石巻市の東北地方大震災の被災状況視察に参画した.小職は現在、宮城県南三陸町の復興支援計画に参画して、宮城県内の被災状況については大分認識している積もりであったが、この団体研修旅行のお陰で、多くの新たな勉強になった。その感想を述べる。
2.講演会の感想
講演会では、先ずNPO法人field and networkの大草芳江氏から2011年サイエンスデイの取組状況についての講演があった.同会社はNPO活動の一環として、東北大学キャンパスで、子供達の参加を軸として、子供達のステップと期待する効果として、
ステップ①科学の“プロセス”を体験
ステップ②研究者や技術者等の現場の“人”との対話
ステップ③生活の中で関連事項と遭遇
ステップ④毎年恒例イベントとして参加
を目指して5800名以上の参加を得たサイエンスボランティア活動であり、その企画力と実行力に深い感銘を受けた。
次いで、東北電力株式会社 火力原子力本部大谷部長から女川原子力発電所の設計、被災、復旧状況についての講演を戴いた。「同発電所は震源に近く、原子力発電所には、最高水位O.P.約+13mの津波が襲ったが、施設敷地の標高が14.8mであった為、地盤沈下が1mあったが施設の津波災害を免れ、発電所の安全性への影響を与えなかった。」との報告に感銘を受けた。
この敷地の高さ設定は、計画段階における社内の検討委員会で、地質学研究者による「貞観地震(869年)の津波堆積物の研究成果より、13.5mまで津波が襲来した可能性が高い・・・」の報告を受けて、電力会社がその意見を参考にした結果だと伺い深い感銘を受けた。また、原子力施設内の体育館に多くの被災者を受け入れ、救援施設として活用された。尚、女川町では、住民の約1割が被災死亡し、最も被害の多かった町でもあった。
また、日本技術士会東北本部長である吉川謙造技術士から、仙台市内の丘陵地の宅地造成地の被災状況の報告を受けた後、折立地区の現地見学のご案内を戴いた。この造成地は1975年代に宅地造成を行った地域であり、1978年の宮城沖地震の際に宅地地盤の被災を受けて地すべり対策を行った地域である。本地域は1970年代に、丘陵地を開発して宅地造成を行ったものであるが、今回の地震で、宅地の切盛土境界付近で地すべり崩壊を起こしたものである。
1978年当時、小職も地すべり対策の策定に係わった一人として、地震動に対するその防災対策のあり方について、改めて教訓を受けた。吉川技術士は現在、東北工業大学教授でもあり、仙台市宅地保全審議会の特別委員として参画し、宅地と道路災害を一体とした宅地保全と復旧計画策定に活躍しておられる。
3.石巻市の災害状況の視察
3月20日の午後、防災支援委員会の委員で、現在石巻市の復興計画に携わっている斉藤委員(株式会社おおば)より、石巻工業港付近の沿岸部に沿って瓦礫や廃自動車置き場、そして被災建物のご案内を戴いた。石巻市は北上川の河口に位置し、津波は北上川を50数km以上遡上し、津波浸水深は最大7.0m以上に及んだ.津波浸水面積は73km2で市街地総面積の13%に及んだ。死者・行方不明者は5784名(全人口の3.6%)で被災家屋は12万8000棟(全体の約60%)が被災の激甚被害を受けた市域と聞いた。
また、漁港44港と水産加工場200社の全てが被災したという。付近の3階建の門脇小学校の被災跡を見学し、津波の恐ろしさを実感した。児童・先生の7割が被災したという新北上川大橋近傍の大川小学校(釜谷山根地区)の見学は成らなかった。その後、門脇小学校裏手の日和山(標高55.3m)に登り、市街地の全貌を見た。津波浸水で市街地の平地の大部分が被災した事が分かつた。
この冷凍施設等の復旧が大幅に遅れ、魚等の水揚げが不十分と聞いた。斉藤委員の説明によると、石巻市は山地面積が少ないため、高台の土地価格は高価であり、市では平地を7.0m以上嵩上げした住宅復興計画を基本としている。また、この石巻地区は、地震で地盤が1.0~1.5m沈下し、丁度満潮時である市街地の大部分が水浸しの状態であった。地盤の嵩上げや将来の津波襲来災害防止のための施策の困難さを深く感じた。
4.技術士としての市街地の災害防止対策・減災計画について感じた事
小職は現在、宮城県南三陸町の災害復旧・復興計画に参画しており、また仙台市太白区の宅地災害に30年以上前に携わっいるが、今回の被災状況の見学の機会を得て、改めてその恐ろしさを実感した。本地震で何故、福島第1原子力発電所は津波災害、一方、女川原子力発電所は無事であったか?
後者は、社内の検討委員会で、東北大学箕浦先生(地質学)の所見による「貞観地震(869年)」の津波堆積物の調査結果を知り、それを電力会社の幹部が理解して、施設を高台に設けた結果が幸いしたと聞いた。
何よりも地質・土木技術者のひとりとして、地震津波予測や避難対策誘導等についてのこれからの防災・減災対策にどのように携わるべきかについて、改めて一から検討すべき事が肝要である。また、適切な震災地の復旧・復興のための土地利用計画の策定は、従来の都市・土地利用計画とは全く異なった考え方で当るべきであることの必要性を改めて強く感じた。
本研修旅行を企画して実行された山本技術士、藤橋技術士に改めて感謝と御礼を申し上げます。
以上