震災1年後の訪問先での印象

著者: 横田 裕一 講演者:  /  カテゴリ: 東北地区  /  更新日時: 2012年04月28日

  

環境研究会 東北研修旅行 参加者報告

日 時:平成2432021
場 所:宮城県

震災1年後の訪問先での印象 

横田裕一 技術士(建設部門)

 

1.往路(3/20朝仙台空港着)

空港建屋周りは復旧されているものの高速道路までの車窓からは地震・津波の痕跡が目に着く。田んぼの畦道に引っ掛ったまま放置された小型漁船、骨組みを残し無人化した様子の住宅も散見された。ここでは地震による臨海部の地盤沈下と未曾有の大津波襲来のダブルパンチが恨めしい。

 

2.講演会(株式会社復建技術コンサルタント会議室)

(1)自然の力と人類の知的好奇心の産物たる科学・技術プロセスを体感する場づくり「学都サイエンスデイ」を未来に向けて進める“特定非営利活動法人natural science理事 大草芳江氏”の活動報告がされた。
自然の脅威と人類の叡智による克服を確固たるものにする為の基礎づくりに繋がると感じた。

(2)東北電力女川原子力発電所の震災状況を、大災害に至った東京電力福島第一原子力発電所と施設内容・災害結果などを対比しながら原発関係者から説明があった。
既にメディアを通じて聞いた話に終始するように聞こえたが、「建設許認可・建設主体の考え方・判断の違いが被害の差異に繋がった」では済まないと思う。このままでは事故による影響の大き過ぎる今後の原子力発電所の運転継続・新規建設再開は困難と言わざるをえない

 (3)主に仙台市内丘陵部住宅地の地震被害状況が宅地造成マップと対比して報告された。今回の大地震による、津波とは別の内陸部の顕著な地震災害である。(吉川謙造東北本部長)

 

3.折立団地現地

1964年に造成され1978年地震では被害がなかったが、今回は谷埋め~腹付け盛土部が変形・移動・滑落崩壊が発生したと説明された。現地訪問時には破壊家屋は既に撤去済であったが、撤去後の敷地面の著しい傾き、発生した地面段差は顕著で生々しく残っている。

造成後70年の平穏な近郊生活に突如襲いかかった晴天のへきれき。今後ここでの原因が究明されても、国内至る所にある同様条件の既存造成住宅地での対策、また宅地造成での許認可基準の見直しへ繋げて頂きたい。

  説明: C:\Users\yyokota\Desktop\120320東北研修新しいフォルダー\IMG_1163.JPG  説明: C:\Users\yyokota\Desktop\120320東北研修新しいフォルダー\IMG_1164.JPG

                 折立団地の地震被害状況

 

4.被災地訪問では石巻、女川グループに分かれ私は女川を選ぶ。壊滅的被害を受けたとされる地域と聞いている。街の入口から車窓を通じ次々と目に入る半壊の住宅、瓦礫の山、夥しい乗用車両の処理待ち集積を横目にバスは進む。鉄筋コンクリートの高校校舎も今は使われずに残されている。道路はほとんど整備済で関係者の尽力が伝わる。

 

5.元々津波に備え設置された多くの避難階段が目立つ高台上の病院敷地から眼下の津波被害を俯瞰する。供えられた献花は悲劇を訴えている。眼前の臨海部には数棟の3/4階建の小型倒壊ビル(モニュメントとして残されている?)が底面を晒してゴロリと転がり津波の力を誇示している。他に目を転じても数棟のビル残骸以外には根こそぎ何も残されてない中で街区跡を区画する道路はきちんと整備され、私には復興を期待する表情に感じた。

       説明: C:\Users\yyokota\Desktop\120320東北研修新しいフォルダー\IMG_1175.JPG 説明: C:\Users\yyokota\Desktop\120320東北研修新しいフォルダー\IMG_1176.JPG

             女川町臨海部前の高台から津波被災箇所の現状俯瞰

 

6.町の後背部の小高い丘陵造成地には、町民用の立派な陸上競技場、野球場が設けられていたが、いまや被災者の仮設住宅用地に転用されている。用地難からか一見瀟洒に見える大型の3階建マンション(フランス製と説明された)が数棟、野球場跡のスコアボードと肩を並べて建ち並び、多数の被災町民の暫定的な住生活に供されていることが分かる。3階建ての仮設住宅は高齢者の方々の日常生活には厳しいものもあるだろうと感じた。

      説明: F:\YY写真④世正控(1201~)\120320東北研修新しいフォルダー\IMG_1182.JPG 

            女川町営野球場に建設されている3階建て仮設住宅(フランス製)

 

7.ここでの仮設住居の衣・食生活については、商店が近くにないとのことで、日常生活上の移動手段たる乗用車、駐車場確保も限りある仮設住宅では十分でないものと見受けられた。仮設住宅に住む被災者の皆さんは極めて不自由な生活環境下に居られることが窺われる。

8.高台から遠望できる、臨海部では日本一のさんま水揚量を支えていた漁業関連業者の業務も再開され始めたと説明された。まず水産物に関連した町民の仕事が確保され、地元経済の回復に向けることは復興への道筋として間違いはないプロセスであろう。また古来津波に苦しんできた地域住民の安全・安心のためには防潮堤・防波堤への全面的依存だけでは完璧でないだろう。人命を守る設備(避難タワー)/避難方法の周知徹底を図ることが最低限望まれる。

9.本格的な復興に向けては、住宅の津波対策としては抜本的な地盤嵩上げ、高台への住宅移転が不可避であろう。ただし住宅用地盤造成地の標高決定については、破壊された防潮堤・防波堤/避難設備の再建計画とも関連し最重要調整課題と考えられる。

10.松島の宿での懇親会(東北本部長ご臨席)ではたまたま幹事藤橋氏の隣席になり、氏は3日目には福島を訪問されるとの予定を話された。

11.旅行2日目(3/21)朝食前に松島の波打ち際まで短時間散策できた。海岸公園へ向かう途中、古い神社にお参りした。(日吉神社)小型の鐘楼があり小ぶりだが澄んだ響きを聞かせてもらった。公園の浪打際から海側を見ると、さすが“松島”、沖合には見事な松を被った小島が目に入る。ここでの津波災害は島々の影響で(島々には犠牲が出ているのだろう)比較的軽微とのことで、時間が許せば古くからの名勝をもう少しゆっくり楽しみたいところであった。

12.昨日と同じ観光バスで出発し多賀城市へ向かう。途中JR松島海岸駅前で全員記念撮影した。

13.まず多賀城跡を訪問、旧跡に触れた。過去数多くの津波を見つめてきた土地なのであろう。

14.多賀城市役所では交通防災課担当者により被災の記録、津波襲来の状況、臨海コンビナートで5日間に亘る火災から鎮火までの顛末、質疑応答など詳細に生々しく説明頂けた。また全員が被災時のDVD、地図を頂戴した。

15.高速道路で昼食をとる。今回のタイトスケジュールでの幹事様のご苦労が窺えた。

16JAXA角田宇宙センターを訪問。我国の人工衛星主力ロケットに使われる液体水素/液体酸素エンジン実物、施設見学、開発時DVD、長さ50mロケットなどを見学しエンジン開発に当たられた上條謙二郎先生のご苦労話を含めたお話を伺い、この分野の先端技術事情を垣間見る思いがした。

17.仙台空港で解散、空路伊丹へ戻る。

(以上)


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