環境倫理の講義から見る地球の未来
化学部会(2012年月6月度)研修会報告
日 時 : 2012年6月21日(木) 18:00~20:30
テーマ : 講演会
場 所 : K of Ks
講演 環境倫理の講義から見る地球の未来
後藤 達乎 近畿化学協会化学技術アドバイザーG 事務局長
大阪府立大学・京都大学・関西大学非常勤講師、元 株式会社ダイセル
はじめに
非常勤講師として、関西大学大学院や京都大学大学院で、M安全工学特論、バイオサイエンス入門、高分子産業特論について教鞭を執ってきた。退職を機に大阪府立大学工学部の必修科目である「環境倫理」を、500名を対象として講師2名で分担して教えている。本日は環境倫理の講義内容と方向性についてお話しする。
1.講義内容について
講義は次の順で行っている。私の担当は、次の内①②③④⑦⑪⑫⑭⑮であるが、本日は⑦を中心にお話しする。
①私たちと環境倫理
②環境問題と環境倫理
③環境問題における世代間倫理
④生物多様性と環境倫理
⑤地球の有限性
⑥環境にまつわる法規制と国際動向
⑦持続可能な発展と環境倫理
⑧地球温暖化問題と環境倫理
⑨資源利用・物質循環と環境倫理
⑩廃棄物、リサイクルと環境倫理
⑪生物多様性と環境倫理
⑫生物多様性と環境倫理
⑬工学倫理と環境倫理
⑭企業倫理と環境倫理
⑮科学技術者が目指す環境倫理
2.導入
倫理には「なすべきこと」と「やってはならないこと」の二種類があること、「旧い倫理」とカナダ化学品製造業者協会の「新しい倫理」について教えた後、コンプライアンスと倫理の関係から「自律した健全な倫理的判断(誠実さ、透明性、情報開示・説明責任)」に関してグレーゾーンを話し、さらに図1に示すように、技術/技術者には4つの倫理があることを教えている。
3.環境倫理のトリレンマ
「倫理」は社会的な共同生活を成り立たせる基本原則として機能する。「環境」は人類の生存そして豊かで健康・文化的な生活の基盤である。地球環境は絶えず変化していることを受けて倫理も時代とともに多様化しており、「自然と人間との関わりの中で、人間の行為の自由を制約する規範」を“環境倫理”と言っていい。
このような観点で考えると、環境にはトリレンマ(人口増加、資源・エネルギーの枯渇、地球環境の破壊の相乗)が存在し、人類の危機が迫っていることに気づく(図2)。
図2
4.環境倫理についての主張の食い違い
環境倫理には、①地球の有限性、②世代間の倫理、③生物種の保護、という3つの主張がある。主張の底には先進国の人々と途上国の人々の間で、特に①地球の有限性に対して、同レベルの生活を享受する権利があり使いすぎた先進国が減らせば良いとする考え方と、現状をベースとして皆で考えようという考え方に分極しているのが現状であり、なかなか方向性を定められていない。
図3に示すように、倫理学が想定してきた道徳的対象は「人間を取り巻く小さな環境」であった。しかし、科学技術の発達に促されて人間の行為の質そのものが変化し、倫理学は「人間中心」の考え方から、「全自然」と「全未来」についても、責任対象として関わらざるを得なくなっている。
図3
地球の46億年の歴史を24時間に例えると、人類の誕生は、12月31日の午後2時頃であり、産業革命は午後11時59分58秒に起こったことである。産業革命時点での世界人口は10億人であったが2011年には70億人に迫っていることから、この2秒間の人口爆発のすさまじさを理解できると考える。
5.Carrying Capacity(環境容量、環境収容力)について
Carrying Capacityとは、一般的に環境汚染物質の収容力を指し、環境を損なうことなく、受け入れることのできる人間の活動または汚染物質の量を表す。生態学では、その環境が養うことができる環境資源(森林、水、魚など)の最大値を意味し、環境容量に達した資源は増えも減りもしない定常状態となる。
地球の扶養可能人口を示す指標として、地球レベルでのCarryinng Capacityを用いる考え方がある。図4に示すバイオキャパシティーとエコロジカルフットプリントの関係を見ると、1980年頃にバイオキャパシティーの限界を超えたことがわかる。
図4
6.イースター島の教訓から考える持続可能な社会
イースター島は太平洋に浮かぶ孤島で、1500年前に人類が住み始めた島である。オランダの提督ロックフェーンが1722年に発見したが、彼が見たのはみすぼらしい茅葺の小屋や洞窟で原始的な生活を送り、絶え間のない戦闘に明け暮れている3,000人ほどの島民だった。彼らは島で手に入る乏しい食糧を補うために、互いに食べ合うという絶望的な行動をとっていた。
イースター島はモアイ像建造など世界で最も進んだ社会を築いたが、環境を破壊した結果として発見当時の状況に変革した例である。人類の社会がどれだけ環境に依存しているか、またその環境が回復不能なまでに破壊されたときに何が起こるかを示す衝撃的な例といっていい。
持続可能な社会の考え方には二つの考え方がある。
弱い持続可能性 → 機能が同等であれば“自然資本”を“人工資本” にある程度代替させてもよい。
強い持続可能性 → “自然資本” はあくまで自然資本として再生能力を維持すべき。
どちらを取るかも課題であるが、地球を直径1mの球に例えると、生物の生活圏は表層の1.5mmに過ぎないことを前提として、
戦争、紛争、内乱の発生しない、『明るい地球の未来に向けて、持続可能社会を目指そう !!』 と結んでいる。
質疑応答
Q 諸悪の根源は人口増であるのか。また、貧困を助けるのは環境倫理に反しているのか。
A 人口は減少に転じると思うが、どの程度が適切であるのかは諸説がある。貧困援助の問題は、移民反対論とつながっており環境倫理に反しているとは言えないと考えている。
Q 持続可能期間を100年200年で考えるか、1000年やもっと長期で考えるかによって結論が違ってくる。もし化石燃料を使えないと人類はどうなるのか。
A 持続可能期間についても、また化石燃料の問題についても諸説があるとしか返答できない。
Q 廃棄物の自浄能力は限界に達していると考えるのか。
A まだ限界に達しているとまでは言えないが、エントロピーは急上昇を続けている。
(文責 藤橋雅尚、監修 後藤達乎)