生き物としての人間復活
【第29回技術士全国大会 基調講演】
日 時 : 2003年10月31日
生き物としての人間復活
中村桂子 JT生命誌研究舘 館長 理学博士
はじめに
控え室で講演の発表に使うOHPについて話したが、順番をきちんと決めずに必要なものを使いたいという私のやり方が技術士の方の常識といかに違うかを教えられた。
生き物はフレキシブルでいい加減に対応できる。現場対応が、生き物が大きな環境の変化の中で生き続けてきた理由だ。生き物の歴史は38億年、現代人の歴史は十数万年であるが、新しいことを続けていくには現場主義が有効である。機械の時代と違い、21世紀は人間社会でもこのいい加減さが必要である。
クローン羊を例にして現代技術の問題を考える
クローン羊の写真を見ても普通の羊と変わらないが、クローン羊はメスの乳腺の細胞のDNA(核)を卵に入れて生まれたもので、雄、雌が受精して生まれるものと違い遺伝子は混じりあわない。外からは分からないが、通常とは全く違うメカニズムで生まれたのだ。
研究開発が進んだ結果、限られた遺伝子については、必ず父親から受け継いだか、母親からもらったかによって働きが異なることが分かってきた。しかも、受精によって引き継がれる重要なものであり、哺乳類では、受精を経ていないクローンは問題があることが分かった。
ここで申し上げたいのは、生物への技術は、羊は羊であることは変わらず、一見自然に見えるが、本質に関するものがあるという特徴である。
科学技術文明の見直し
同じように、昔から水田は日本人の原風景であり、自然に感じるもので、稲作の技術はずいぶん進歩し変化したが、お米そのものは変わっていない。こうして、技術と生物や自然との関係で見ていく必要が出てきた。
人間は文明を作り、進歩してきたが、一方で生きものとしての「ヒト」は自然の一部である。自然とは、地震も台風もという厳しい恐ろしい一面を持っている。その中で生き抜くために生きものは様々な能力を持ち、生きる力を得ている。人間は運動能力では多くの生きものより劣っているが、①大きな脳、②自由な手、③ことばにより文化・文明を産んだ。
つまり、科学技術はヒトが生きるために不可欠ではあるが、一方、現代の科学技術が余りにも効率重視していることが弊害にもなる。そこで、自然破壊が注目されるが、実は私たち自身の中にも自然がある。
a)「身体」への有害化学物質による環境影響
b)「心」の破壊によるインターネットでの殺人依頼
c)「時(時間)」をあまりにも効率よくやろうとしていることなど
ここでも問題山積みだ。この解決には生きものとしての成長に必要な日常的な感覚が重要で、技術はこれらに入り込んでいく必要がある。
科学技術文明の見直し
前述の科学技術の問題の解決には、科学を点検し、自然・生命・人間を理解し歴史や関係全体を考える学問と日常(感覚)との融合を図る科学にこだわらず、自然・生命・人間について考える知と行動を考えるなど、新しい価値観と知の創造が必要である。
現在、地球上に名前のついた種は150万種あるが、実際には1500万種~5000万種とも言われており、特に熱帯林内に多い。あらゆる生きものはDNAをゲノムとして持っており、38億年前の共通の祖先から出ていると考えられる。DNAを解析すると生きものがどんな性質を獲得してきたかが分かるし、DNAの中に歴史が入っている。例えば、アゲハチョウはみかんの葉に卵を産むし、幼虫はみかんの葉しか食べない。このようなアゲハチョウの研究からチョウの進化の経過が理解できる。
矛盾に満ちたダイナミズム(生命のストラテジー)
生物はすべて普遍・安定・精密・合理性などの性質を持っているが、一方で、多様・変化・遊び(調節)・ムダなどの矛盾する性質を持って、これらを両立させている。例えば、赤ちゃんの脳から神経細胞の先が手のどれかにつながると、その他の細胞はすべて死んでしまうようなムダが必要で、ゲノムというプログラムがあっても、すべての生物が現場対応するのである。
社会と科学技術の関係
20 世紀は、何でも人工、効率という視点で考えようとしてきた。これでは生きものである人間の未来は明るくない。21世紀になり、生きもののことが分かってきた。これも加えて農業や医療などを含め、それぞれの技術を幅広に考えていくが重要であり、このような考え方が参考になればと思う。
後記
2003年、大阪で9年ぶりに開催された技術士全国大会での基調講演よりまとめたもので、中村先生に監修していただいた。
文責 山本泰三