近代日本における研究開発体制の変遷

著者: 綾木 光弘 講演者: 沢井 実  /  講演日: 2014年01月14日 /  カテゴリ: 講演会  /  更新日時: 2014年02月03日

 

公益社団法人 日本技術士会 近畿本部登録 環境研究会 第63回特別講演会要旨

日時;2014年1月14日(火)1830分~2030
場所;大阪市 アーバネックス備後町ビル3階ホール

 

講演  近代日本における研究開発体制の変遷

 -第一次世界大戦期から高度成長期まで-

講演者:沢井 実(大阪大学大学院 経済学研究科 教授) 

1.はじめに

近代以降の日本を研究開発体制論からの視点で区分しようとすると、近代前期(明治期)、近代後期(第一次世界大戦期から高度成長前夜まで)、過渡期としての高度成長期、ポスト高度成長期、福島以降の5つに区分できる。本日は、産官学の連携の在り方を戦前から戦後の長期的スパンで考えてみたい。

2.戦前の産官学連携の実態

2-1第一次世界大戦の衝撃

総動員体制の構築が試みられた。また、新兵器登場への対応として、陸軍技術本部や陸軍科学研究所等が設置された。また、海軍技術研究所や陸軍航空技術研究所もそのあとを追って開設された。

2-2産官学の連携の実態

軍指定のメーカーが海軍艦艇や航空機、逓信機材等を、また鉄道省の指定工場が鉄道車輌等を製造した。車両研究会や風洞水槽研究会等が活動を始め、産官学の錚々たる研究者が集った。

3.戦時期の科学技術動員

陸海軍試験研究機関が急拡大した。陸軍兵器行政本部に、10技術研究所ができ、陸軍航空本部には、8航空技術研究所ができた。陸海軍は、民間企業研究所や帝国大学の附置研究所を囲い込んだ。1941年5月には科学技術新体制確立要綱が閣議決定され、1942年2月には技術院が開庁した。航空機の重要性が認識され、関連の共同研究が隆盛を誇った。また特徴的な組織として、共同研究の場である研究隣組が数多く結成された。戦時研究員制度や学術研究会議もできた。科学研究費という制度や日本育英会が出来たのも戦時期である。

4.戦後復興期の研究開発体制

戦後工業技術庁が設立されたが、4年後工業技術院に改組された。それが現在の産業技術総合研究所に繋がっている。戦後復興期の研究開発体制の特徴としては、大阪府工業奨励館や大阪市工業研究所等公設試験研究機関の健闘が特筆される。

学士会の同窓会名簿から判断すると、戦時中に陸海軍に勤務していた帝国大学卒の科学技術者の内、戦後の勤務先が判明した人は1000人強にのぼり、大量の人材が民間企業に入ったことがわかる。その他、国公立諸機関に就職した人や、学校教員となった人もいた。

時計やミシン等の軽機械、続いて炭鉱機械、建設機械、農業機械等、戦後復興期の要請に従った研究開発が進められた。

5.1950年代の研究開発体制

技術開発構想として、工業技術開発金庫構想ができ、政府出資の20億円を基金に科学技術研究成果の実用化を目指したが、これは実現せず、結局日本開発銀行からの融資につながった。敗戦による民間の試験研究機関の打撃は大きく、政府が再び主導していくこととなった。

造船業等に関連した機械工業の重要性が注目された。日本学術会議等の提案で産官学連携が試みられた。産学連携を想定した大学教育が重視された。

当時は、アメリカとの技術力の差は歴然としており、それより差が小さいと考えられたイギリスの実践・研究組合がモデルとして参考にされた。イギリスにおける実践から学びながら、新技術開発事業団が誕生した。鉱工業技術研究組合法にもとづく光学工業技術研究組合等が続々と誕生した。

1951年には、アメリカのコンサルティング・エンジニア制度を参考にして、日本技術士会が発足した。1956年に所管が通産省から科学技術庁に移行した。1958年には第1回本試験が実施され、345名が登録した。

6.おわりに

戦後復興期から高度成長期にかけて、国レベルのイノベーションは主に国立研究所がリードした。さらに、高度成長期の後には、民間企業はR&D活動を活発化し、1980年代後半には中央研究所の設立がブームとなった。そうして我が国はいつの間にかフロントランナーとなり、それに応じたリスク責任を負う立場となった。また、今回の大震災等の復興等では、政府の役割、民間企業の役割等が改めて議論されてきている。明治以降、1950年代までの研究開発体制を俯瞰してきたが、これらを顧みることにより、今後の研究開発体制の検討に大いに役立つと考えている。

Q&A

Q.現在の日本の技術開発力は相対的に素晴らしいと感じているが。

A.日本から一歩外に出てみるとその素晴らしさが良くわかるので、そういう視点で是非みてほしい。

Q.海に囲まれた日本だからこそ、今後できる技術があると思うが?

A.これまでの実績として、造船業がその例である。外国技術のキャッチアップが非常に速かった。一方、工作機械等は相対的な立ち後れが長く続いたが、NC工作機械の登場によって状況は大きく変化した。

環境研究会代表幹事からの講演謝辞

本日の講演は非常に幅広い期間にわたる研究開発体制の変遷について講演していただき感謝しております。また、日本技術士会の創設について、詳細に述べていただき非常に参考になりました。創設以降の動向を見て、今後の技術士の力量を発揮するには、これからは、技術士が政策にまで言及するくらいの気概を持って、発言・活動してほしいと感じている。

(文責 綾木光弘  監修 沢井 実)


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