豊島産業廃棄物 不法投棄事件を考える

著者: 高橋 健夫 講演者: 大川 真郎  /  講演日: 2004年08月26日 /  カテゴリ: 講演会  /  更新日時: 2012年08月17日

 

環境研究会【特別講演会報告】  040826

            日 時:平成16826日(木)

 

テーマ: 豊島産業廃棄物不法投棄事件を考える

      講 師 : 大川真郎弁護士 (大川・村松・坂本法律事務所)

●プロフィール:1941年生まれ。1964年東京大学卒業後、大阪ガス株式会社に入社、1967年退社。1969年弁護士登録。19932000年:豊島事件の住民弁護団副団長として公害調停に係わる。20022004年:日本弁護士連合会事務総長。

 

1.豊島事件とは

・豊島は国立公園内にあり、福祉の島。10数年間白昼公然と大都市の廃棄物を捨てていた犯罪行為。筑紫哲也のこの国のあり方に対する痛烈な皮肉「豊島産業廃棄物不法投棄国立公園」と呼ぶべき。

・事業者は前科10犯以上の履歴。当初から住民は処理場建設に大反対し、知事に直訴した。道路と私有地の境界に杭を打つなど、色々反対運動を行った。知事の発言「業者の生活を考えるべき。豊島の海は青いが、住民の心は灰色だ。」。

1977年、住民が高松地裁に処分場建設差し止め請求を提起したが、事業者は翌年に食品廃棄物によるミミズの養殖に変更。裁判が和解になり、運動が急速に衰えた。一方、事業者は許可条件に反してシュレッダーダストなど色々持ち込み、野焼きもした。

1990年、兵庫県警が摘発し、強制捜査、逮捕。懲役10ヶ月、執行猶予5年の判決。その後住民は民事裁判で一人5万円の慰謝料と廃棄物の撤去を求め認容された。

・香川県は何もしなかっただけでなく、事業者に廃品回収業の免許を取らせ、廃棄物を有価物と認定して犯行を助長。300円/t払い、運搬費として2,000円/tもらっていたがこれはごまかしで差額1,700円の利益。

・子供の喘息の発生率は全国の10倍。高松からも野焼きの煙が見えたのに県は放置。

・今日(8月26日)、諫早湾埋立工事の差し止めが決定。国はおざなりな調査しかしなかった。食肉のハンナンの役人の対応もひどいものである。公務員に監視が必要。 

・なぜ県が業者を守ったのかは不明。たぶん暴力を恐れたから。(岐阜県御嵩町の町長殺人未遂事件。)2人の職員の処分は訓告だけで終わった。環境部長は事件終了後に知事に推薦され、環境大臣賞をもらった。反省がない。

2.住民のたたかい-いくつかの山場とそれを乗り越えるために

・知事は万全のことをすると言ったが、これほどいい加減なことはない。1993年、時効直前に立ち上がり4人の弁護団(団長:中坊公平弁護士)を組み、公害調停を申し立てた。裁判では勝てないと判断。県と排出業者の20社程度を相手にした。香川県に撤去を要求。

・第1回公害調停。香川県には一切責任がないとの態度。調停委員会も、弁護団は厚かましいと考えた。厳しいやり取りのため、調停委員長が泣いた。

・中坊さんは一種天才的な才能の持ち主。知恵はのめり込んで初めて出てくる。現地調査の直前に産廃を掘り起こせと命令するなど。菅直人(厚生大臣)が来たときも掘り起こした。調停委員会と県が会食するとの話を聞き、料亭の前に立って妨害せよと言った。会食は取りやめになった。

・マスコミ報道について後半は住民寄りになった。当初、NHKは事実と違う報道をしたので、内容証明郵便で告発した。その後、NHKは方針転換。ついに最終では私のことをNHKの「列島スペシャル」で取り上げるまでになった。きちんとした抗議もしておくことが大切。

・香川県は県民の批判を恐れるようになった。第3回公害調停で実態調査をしようという提案に乗ってきた。県は大したことはないと読んでいた。納得いく調査のために、大学の先生からアドバイスを受け、汚染土壌、地下水、雨水、格子状の調査ポイントなど調査方法を研究した。 23,600万円という空前の調査費がついた。国としても他の不法投棄対策にもなるからである。

・調査の結果、廃棄物量は60万t。有害物質が流出しており、周辺環境を汚染している。ダイオキシンの被害も出ている。早急な対策が必要と判明。急速に調停が進む。

・専門委員会が提示した対策の案は7つ。7つ目は鋼矢板で封じ込める底抜け案で問題だった。

・味方は世論しかない。県庁前で12月から5月まで老人が抗議しのぼりを持って立った。銀座でデモをやった。バスをチャーターして2晩の強行日程。夕刊の一面に載り、全国ニュースになった。

1996年、橋本首相(岡山県出身)が国も中間処理をすると支援を約束。

・県会議員は小豆島地区で2人とも住民サイドではない。「豊島の運動は根無し草運動。弁護団にあやつられている。」一から運動をやり直すこととなり、土庄町に事務所を置いて全戸訪問で訴えた。

・子孫に良い環境を残すための運動。素晴らしいリーダーの存在。

・香川県に謝罪させるため、運動を県全体に広げる。100箇所の集会を計画。女性が中心となり、 2万回の電話。御嵩町長が支援。2,000人が参加。

・住民から県会議員へ。1,300人の住民が30,000人の選挙区候補に立ち向かった。応援弁士は中坊さん、御嵩町長。電話4万回、7,000余票を獲得して当選。

・専門的知識を持った技術者(中地重晴氏)を顧問に迎えた。

10人の技術検討委員会(県が事務局)に傍聴を要求。官は民を蔑視している。住民が報告し、コメントが言えるようになった。委員会の途中でも言えるようになった。住民は現場を知り抜いている。手抜きの議論はできない。住民参加が重要。

2000年、知事が謝罪。行政責任を明らかにしたかった。これが一番難しかった。県会議員が出たのが大きかった。リコール運動まで考えた。調印の儀式は地元を希望した。知事は自分の言葉でしゃべり始めた。謝罪の半分以上は本心だったと思う。

3.豊島事件の教訓と住民

・ついに敵は香川県ではなく産業廃棄物となった。豊島事件は社会的意義のある事件。豊島事件が背景となって国の法律が2回改正された。日本のリサイクル技術水準を高めることになった。国民の意識を変えた。大量生産、消費が当たり前でないこと。有害物質を無害化するには金がかかること。行政は国民のためにやっているのかということ。

・裁判員制度を作ることに事務総長として努力。官に委ねてはだめ。観客民主主義ではだめ。

・国民主権をどう実質化するかということの一つの模範事例が豊島事件であった。

2000年には4,000人が島を訪問。現在も増え続けて、子供から国会議員まで5,000人超。住民は無償で案内してくれている。今年も8月1日に「島の学校」を開催した。

Q&A

Q:不法投棄防止の効果的な方策について?

 ⇒環境問題は手遅れになると大変金がかかる。見て見ぬふりをしている職員の存在。公僕になりきっていない。無責任行政への対応が必要。 

Q:7年間続けたパワーの源は?

 ⇒豊島住民の生き様に共感。途中で戦線離脱はできなかった。この事件の社会的意義が大きいことがわかりだすと力が出てきた。 

Q:その後、香川県の環境行政のスタンスは変わったか?

 ⇒ある程度変わった。調停条項でレールを敷いたので、外れることができなくなった。しかし、豊島問題を知らない新しい職員が増えてきているため、たえず住民が職員に教え続けなければならない。知事の頭の中では香川県はリサイクル社会の先頭を走っているつもりかもしれないが、大量の廃棄物を出さないことが重要。安心できない。

 

★その他、中坊公平弁護士、廃棄物の定義等についての質疑応答があり、盛会裡に終了した。

(高橋健夫 記)


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