ごみとトイレの歴史の窓から

著者: 佐々木一恵  /  講演者: 山崎 達雄 /  講演日: 2017年11月20日 /  カテゴリ: 環境研究会 > 講演会  /  更新日時: 2018年03月14日

 

環境研究会・第81回特別講演会・衛生工学部会第19回例会 合同例会要旨

日 時;20171120日(月) 1830分~2030
場 所;大阪市 アーバネックス備後町ビル3階ホール

講演1:ごみとトイレの歴史の窓から

講師:山崎 達雄 氏 (京都府立大学 共同研究員)

はじめに

現在の「ごみ」は、昔、塵芥・こもく・ごみと呼ばれており、呼び名も、その性状も時代とともに変化してきた。平城京の「ごみ」の処理方法は、埋める、河川・井戸への投棄等であった。

江戸時代から現代へ

17世紀中ごろから河川へのごみの投棄が大坂や京都等の各都市で顕在化し、治水・農業用水・舟運等に支障をきたすようになり、都市によっては塵捨場が設けられた。近代に入ると、京都では、明治8年に化芥所(かかいしょ)が設けられ、日本で初めて「ごみ」の収集・分別・資源化を図った。これは窮民に授産の道を開くものでもあり、市中を対象に1戸5厘~1銭で月1回の定期的収集システムが構築された。

焼却処分はごみの減容化、無害化に有効な手段である。我が国では、1900年の汚物清掃法からごみの焼却処理が本格的に開始される。大阪市では、明治34年に焼却実験が行われ、ごみからの焼却灰を肥料として販売すれば、1日1円(当時)程度の収入になることがわかり、明治36年に福崎塵芥焼却場が創設された。当時としては日本一の規模であり、その後、福崎焼却場は移転するが、太平洋戦争までごみの排出量に合わせて焼却施設を増設していった。

20世紀初頭からごみの性状分析が行われている。ごみの分別化はごみの減量化、経費の削減につながることから、東京市では、後藤新平市長がごみの露天焼却から脱却するため調査会を設けて、焼却炉の建設に踏み切り、関東大震災の復興事業として、選別焼却方式の深川塵芥処理第一工場が建設され、日本ではじめて、資源とごみを分別する焼却炉が建設された。

トイレの歴史は、便所以前の立小便の時代から、お化けが登場する怖い便所へ、そして、上下水道・トイレットペーパーの普及による水洗トイレへ移行した。現在は温水洗浄便座の急速な普及により癒しの空間・トイレへ「トイレ革命」が起きている。

感想・意見

環境問題におけるごみ・トイレ問題は技術的側面で捉えがちであるが、ごみ・トイレ問題は文化的・地域的慣習の影響を大きく受ける分野である。今回、ごみ・トイレの歴史を貴重な当時の史料や絵葉書等により紐解き、その歴史を愉しむ良い機会となった。

(佐々木一恵 記、監修 山崎達雄)