江戸時代のリサイクルを考える

著者: 寺川 博也、藤井 武  /  講演者: 市川 寛明 /  講演日: 2020年11月28日 /  カテゴリ: 環境研究会 > 講演会  /  更新日時: 2021年02月03日

 

環境研究会・第95回特別講演会(WEB方式)

日 時:20201128日(土)  10:0012:00
場 所:Zoomによるオンラインセミナー 

演題:江戸時代のリサイクルを考える

講師;市川寛明氏(江戸東京博物館学芸員)社会学博士  専攻は日本近世都市史
著書:「江戸のくらしとリサイクル」
監修:絵本塾出版、「くらしのなかの伝統文化」
監修:ポプラ社、「江戸の長屋の春夏秋冬」
監修:絵本塾出版、他多数

1.はじめに

環境研究会第95回特別講演会は、江戸東京博物館で学芸員をしておられる市川寛明様に講師をお願いして、リモート講座(Zoom使用)の形で行いました。リサイクルのあり方を江戸時代に遡って考えてみるという試みです。講義で取り上げていただいた参考文献は石川英輔氏の「大江戸リサイクル事情」で、この書籍は、江戸庶民の暮らしが如何に合理的なリサイクル生活を実現していたかを、世の中に知らしめる先駆けとなったものです

2.江戸時代のリサイクル

講演では、当時、下肥(しもごえ、屎尿)が経済活動に組み込まれていて、
  ①雪隠(せっちん)に溜まった下肥 → ②都市周辺の百姓が作物・貨幣で支払
   →③肥料として使用し収穫量増加 → ④食糧として販売 → ⑤下肥の再生産
という、一つの経済の循環を作り上げていた例を示していただきました。

             

その他にも江戸時代には、提灯の張替、錠前直し、下駄の歯入、桶の箍(たが)屋、紙屑買い、紙屑拾い、古着屋、傘の古骨買いなど、実に様々なリサイクルを商売にした職業がありました。なぜ、江戸時代にリサイクルが実現していたかについて、江戸庶民が貧しかったことや、善意やボランティア精神が理由なだけでなく、リサイクルが商品としての貨幣価値があったからと、著者の石川氏は述べています。

しかし、市川氏の見方として、次のご説明いただきました。
まず当時は、贅沢な暮らしをしておらず、カネを多く必要とする暮らしをしていなかったこと
江戸という巨大な消費都市が成立していたことを基盤として、「モッタイナイ」という道徳律があったこと
貧困層へ富を再分配する共同体的な心性があったこと
ではないかとのことでした。

「モッタイナイ(勿体無い)」の語義は、「物のあるべき姿」を意味する「勿体」を「無し」で否定して「あるべき姿でない」という意味となり、これから「無駄になることが惜しい」に派生しました。前近代社会における経済の道徳は、自給自足する共同体における富の総和は不変(ゼロサム社会)であるという観念と深く結びついており、それ故に、まだ使える物を捨てる時に感じる心の痛みは、社会全体の富を毀損すると理解されました。また、武士の心得が庶民にまで浸透した社会では、営利という普遍的な欲望を否定する価値観(質素・倹約)もあり、“富を再配分する精神”が芽生えていました。

このような時代背景が合理的なリサイクル社会を形成していたとの見方を示していただきました。最後に江戸時代の暮らしから学べることとして、近代はあまりにも市場の原理が席巻してはいないか?過剰な豊かさを追求しすぎてはいないか?また、富の再配分のような非市場性と市場との調和も必要なのではないか?とのことでした。

講演後、リモート参加者から、大阪でも江戸に近い消費社会のあった可能性や、日当りに発生する具体的なし尿の量などに関する質問がありました。今回の講演内容は、歴史を江戸まで遡って、リサイクル活動を当時の庶民の精神性から検討するという新鮮な内容であり、現在のリサイクルを考える上で非常に示唆的なものでした。

          

 

(文責:寺川 博也/藤井 武  監修:市川 寛明)