リスクコミュニケーションについて

著者: 山崎 洋右 講演者: 土田 昭司  /  講演日: 2011年07月29日 /  カテゴリ: 講演会  /  更新日時: 2012年08月18日

 

【環境研究会第53回特別講演会】 110729

日 時:平成23729日(金)18:3020:30
場 所:アーバネックス備後町ビル3階ホール

テーマ:リスクコミュニケーションについて

-技術者が社会に向けて適切に情報発信するために

     講 師:土田 昭司  関西大学社会安全学部教授 副学部長 

 

1.リスク研究とリスクコミュニケーション

リスク研究は約30年前、米国に始まり、現在は世界に広がっている。リスク管理には、リスクを回避するための教育や心理学などが入り、リスク認識、意思決定やコミュニケーションなどの要素を含む。リスク統治とはリスクを社会全体として最適なものにすることであり、リスク教育により、概念を小学生から身につけるリテラシーが重要である。勿論技術者にも必要である。

リスクコミュニケーションは
①リスクに関する情報を当該リスクに関係する人々に対して可能な限り開示し、共有することで問題解決に導く道筋を探す社会的技術、
②関係者の信頼をもとに行うリスク問題解決に向けての共有の技術
と捉えられる。双方向のコミュニケーションによる、信頼関係の中での合意形成のためのプロセスが重要である。

リスクコミュニケーションは、成熟した民主主義社会(平等な社会)と高度分業化した社会にとって必要性が増大した。資本主義における平等な社会は高学歴社会と高度情報化をもたらし、誰でもリーダーになれる反面、専門家の権威が低下した。何でもできる人はいなくなり、専門領域の細分化やマスコミの影響で、専門外の素人(=分野外の専門家)が判断できるという錯覚が生じ、憶測が不安と安心の増大を引き起こす。

安全性について、セキュリティ(事故を起こさないこと)とセーフティは異なる。(原発)事故がおきてしまうと、如何に終息させるかというセーフティが重要になる。

2.ヒトのリスク認識

リスク認知・リスク判断において本来考慮すべきことは、危険の程度と生起確率、便益の程度及び危険の程度であり、人の日常生活での認知処理能力を超えるという特性である。

「錯視」はよくある環境に対するきわめて合理的な自動的データ補正機能であり、ヒトは現実を自分がそうあって欲しいと思うものだと認識する。 

「感情」と「理性」について、「感情」とは「環境に適応するために進化の過程において獲得した機能」及び「原始時代の環境に適応するための機能」であり、現代人は原始時代の適応機能を装備して文明社会に生きている。「感情」の利点は時間と労力(疲労)が不要で、弱点は経験済みの対応しかできないことである。一方、「理性」は時間と労力がかかるが、新たな状況に柔軟に対応できる。

リスク判断は危険と利益のトレードオフであり、利益が無い・不要の場合は「危険性が高い」と認知し、利益が有る・欲しい場合は「危険性が低い」と認知する。私たち人間は現実をあるがままに認識するのではなく、現実を自分がそうあってほしいと思うものと認識している。

3.他者とのリスク認識の共有

リスクには「他者管理型リスク(「危険」しか意識されにくい)」と「自己管理型リスク(「危険」と「利益」が意識される)」がある。他者と社会的な現実を共有するためには「信頼」が必要である。
その要因は、「専門的能力対誠実さ(向社会性)」、「共有する価値観」及び「愛(相手は自分に利益を与える意志があり危険を及ぼす意志はないと捉える)」である。

ヒトの行動を規定するメカニズムとして「人間機械論(行動は刺激で決定し、経験により反応は異なる)」、「行動生体論(本能・感情で決定)」、「人間情報機械論(思考によって決定)」の考え方があり、同じ結論にはならない。このために納得をえる条件は次の5項目である。
  ①自分の経験との整合性
  ②自分の本能(感覚)との整合性
  ③相手の論理の一貫性・正当性
  ④情報源の信憑性
  ⑤情報伝達者の信頼性

リスクコミュニケーションにおいて、他者とリスクを共有するためには、「相手の感情を否定せず、相手に別の感情を受け入れ、相手に別の感情を持つことも可能と提案」することが大切である。

Q&A

Q:原発のリスクコミュニケーションにおいて「シビアアクシデントの情報コントロール」、「安心を与えるための条件」とはどういうことか?

A:東電や保安院は、相手に情報処理能力が無ければ相手に理解されないことを意識しなかったため、うまく発信できなかった。情報を正確に伝えるとパニックを起こすと言われるが、正直に言った方が風向をとらえて風下に逃げられた等良かったかもしれない。人間には100%の安心はない。みんなでこう決めたからこれでよいというのがリスクコミュニケーションである。相手を受け入れれば安心(運命を一緒に)で、相手が信頼できなければ安心はない。

Q:自然災害と向き合っていくとき、コミュニケーションをどう使うのか?

A: 危機が生じたらコミュニケーションは不要、命令でよい。この時に現場にいる一番能力のある人がリーダーとなり、全体はその決定に従えばよい。危機時にルールは適用できないので、リーダーの役割はルールではなく自らの判断である。(米国ではこの考え方が定着している)

Q: 宗教心は東北人にはあるが、都会人にはなかったのが問題では?戦後教育がやらなかった宗教心を無くした人が多い中でどう宗教心を後生に伝えるか?

A: アメリカの公教育は進化論でなく宗教的な考え方を前提としている。都会人は宗教がいらないのではなく、例えば新宗教の団体は地方から都会に出てきた人に受け入れられた。新しい価値観や教育に対してまぎれもない正解は出せていない。 

Q:原発事故リスクは重大であり、マスコミの意見も2分されている。ドイツでは委員会を立ち上げ、宗教家や哲学者も入れて原発廃止と決めた。リスクコミュニケーションで決める手法は?

A: わが国でも脳死判定での議論では哲学者や宗教家も入った。ドイツでも同じやり方をした。廃止するのは簡単だが、廃止した時にどうするか?原子力は人間の能力で制御できるかどうかが決め手である。制御できるなら制御できるやり方、制御できないならどうするか決める。そのためにはスペック(決めて欲しいこと)をはっきりさせることが大切で、そうすれば技術者が判断できる。

Q: 原発と地震の2つの専門家同士のリスクコミュニケーションは?

A: 今回まさにこれがなかった。最後まで無かったのは助けてくれと言う情報。アメリカ・フランスが強制的にやってきてやっと機械等が導入された。原発村に違った分野の人が入って話し合うことを原発関係者が軽視しすぎ、それを全くやらなかったから対応ができなかった。

コメント

心理学から見ると人の行動がよく理解できる。技術者、専門家にとって新鮮で分かりやすい解説は、多くの参加者にとっても納得できる内容であった。

                     (監修:土田  昭司、 作成 山﨑 洋右)


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