東北研修旅行報告

著者: 末利 銕意 講演者:  /  カテゴリ: 東北地区  /  更新日時: 2012年04月25日

  

環境研究会 東北研修旅行 参加者報告

日 時:平成2432021
場 所:宮城県

東北研修旅行報告

末利 銕意  技術士(化学部門、総合技術監理)
株式会社テス・リサーチ

1.東日本大地震の概要

2011311日14:46、三陸沖を震源地(北緯38.1度、東経142.9度)とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生。地震と共に津波によって壊滅的な被害を受けた。

(1)震源の深さ:24km
(2)規模:マグニチュード9.0
(3)最大震度:Ⅶ(宮城県栗原市築館)
(4)最大加速度:2,933gal

今回の地震の特徴は、M5以上の地震が長さ450km、幅200kmの広範囲で、しかも約3分にわたって断層の破壊が連続して続いたことである。(防災科学技術研究所)
ちなみに、1978年宮城沖地震、2008年宮城・岩手内陸地震は約30秒だった。

 

2.女川原発の地震津波対応(津波が0.8mまで迫った)

東北電力株式会社火力原子力本部原子力部原子力技術訓練センターの古舘淳光所長からの説明、又、原子力部の大谷順一部長から補足説明があった。

女川原発は外部電源5回線の内、4回線ダウン、非常用自家発電機は健全、全停電を免れた。又、1号機高圧常用A系電源盤が焼損した。1号機の屋外重油タンク1(960kl)が倒壊した。奇蹟的とも思えるのは、標高14.8mに原発を設置したことだ。地盤が1m沈下したが、津波は13mだったので、0.8mにまで迫ったが、浸水を免れたこと。
とはいっても、
2号機では排水溝から浸水し、原子炉建屋付属棟には浸水していた。又、地下に設置していた冷却水ポンプは浸水している。岩盤と共に、原子炉が1m動いたことには違いない。幸いにも不当沈下でなかったことは幸いだったが、幸運を期待することは工学に携わる者として、相応しくない。技術者は最悪の場合を予見して、対策を立てておくべきであろう。

今回、東京電力から、想定外、との言葉が出たが、技術者として、又、経営者として、好ましくないように思う。女川原発のある東北電力は、貞観地震などの津波の高さを考慮して、海抜14.8mの高台に設置した。東京電力はGEからの要請で、高台を5mまで掘り進んで設備を設置した。理由は、冷却水の揚程を稼ぐためだったと聞く。つまり、津波の無い米国の仕様を鵜呑みしたとのこと。残念でならない。

 

3.仙台市内の地震被害状況説明と考察(盛り土部分、盛り土と切り土の境界で被害)

昼食時に、日本技術士会の吉川東北本部長から宮城県の地震被害状況説明があり、バスで住宅地の地震被害を視察した。盛土地域で被害が大きい。特に盛土の薄い場所や、盛土と切り土との境界部分での被害が大きかったとのこと。

 

4.女川町の被害地考察(多数の犠牲者、地上げによる復旧)

人口1万人中、840人が死亡している。入江にある二つのショッピングセンターを繋ぐ陸橋は流され、隣の3階建の鉄骨ビルも横転していた。2階建鉄筋コンクリリート製交番ビルも基礎杭が上から2m程度のところで切断された状態で横転していた。18mの津波の猛威を物語っていた。15mの高台にあった女川医療センターも2m程浸水したとのこと。

その後、更に高台にある立派な女川町役場(原発の交付金で建てられたと思われる)の横にある野球場に建てられた仮設ハウス群を見学した。豪勢な2階建と3階建で、建設費は1家族分800万円だったとのこと。原発の街、女川ならではの豪華さだった。
津波で流された浜のエリアは15m地上げするとのこと。数百億円は掛るだろう。今後、原発が稼働しないと、補助金も出なくなるので、現地の方々は原発の早期再稼働を希望されるだろう。しかし、周辺の市町村の方々は、元々補助金は出ておらず、今後事故があれば被害を受けるので再稼働には反対だろう。今後大きな問題となることが予想される。

5.松島考察(島々が津波被害を救った)

松島のホテルに宿泊し、朝、松島海岸を散歩した。津波の被害の跡は何も見つからなかった。専門家によれば、島々に遮られて高さや勢いが削がれたためとのこと。それにしても、女川で18mだった津波が、松島で何メートルだったのだろうか?少なくとも標高2mにも満たない瑞巌寺正門に通じる沿道の林は緑に溢れ、樹齢数百年の檜が茂っていた。土産物店も津波による被害の跡は見られなかった。
家屋の倒壊など破壊の原動力は、水流のみならず、流された自動車や船やコンテナーなど浮き上がって流される大型のバルクが電柱や家屋などを壊したのだと感じた。松島等は水面が若干上昇したけれど、流れも弱く、浮き上がったバルクも少なかったのだろう。

 

6.多賀城市の被害と復興策(甚大な被害、現状復帰を選択)

多賀城市交通防災課長から多賀城市の被害状況を説明頂いた。
市内は3/1114:46震度5弱、14:47に5強、4/723:33に5強の揺れがあった。津波は3/115:56頃、高さは仙台湾で7m、多賀城市内で4.6mだった。浸水面積は全662haの内、33.7%に達した。死者188名。住家被害は津波で5,128世帯、地震で6,230世帯。災害ゴミは、がれき50万m3、被災車両5000台。
復興計画として、数少ない原状復帰を決めたとのこと。津波対策は避難塔を随所の建てることと高台への避難道路を整備するとのこと。又、防災教育、エリアメール、サイレンの充実などソフト面に注力している。復旧予算は国から数百億円、多賀城市独自予算は
11億円。幸いにも学校の耐震補強工事が完了した直後だったので被害を免れた。自衛隊が入浴支援、韓国大統領が慰問。(DVDあり)

それにしても、女川では浜を埋め立てて15mの高台にするとのこと。多賀城市は原状復帰を原則とするそうだ。補助金で潤っているお金のある女川町とお金の少ない多賀城市の違いだろうか。人口10,000人の女川のように浜を15mもかさ上げすることが本当に必要なのか、お金に任せて立派に復興しても、原発が無くなった後、元の漁村に戻れるか?何百億円ものお金を投じてかさ上げして、費用対効果があるだろうか?補助金中毒にかかった町は、益々中毒から向け出ることができなくなるのではなかろうか?ギリシャのように働かない民になってしまわないだろうか。廃炉を迎えて原発のない状態になった時に女川町はどうして生きて行くのか。高齢化が進み人口が減少する中で、魅力ある将来ビジョンを立てなければならないだろう。
例えば、原油が無くなった後の中近東やブルネイなどでは、模索が続いている。女川町もその準備をすべきと思う。例えば、日本は海に囲まれており、暖流と寒流に囲まれて水産資源にめぐまれている。特に東北の太平洋岸は水産物の宝庫でもある。養殖漁業など海を利用する産業の育成もあるだろう。風力発電など自然エネルギー産業育成などなど。それができなければ、高齢者がばかりとなり町として維持できなくなる。集落崩壊となる可能性もある。高齢者は都会で生活する方が生活し易いので、集団で移住することも考えられる。
政府としては被災以前の状態に戻すことで、義務は果たせるかもしれないが、無策に過ぎる。そこが都市計画を専門とする技術士の知恵の出しどころだろう。技術士の果たす役割が多々あろうかと思う。

 

7.JAXA角田宇宙センター訪問

H2ロケットのターボポンプを含む極低温液体ロケットエンジンを開発したセンター。又、再突入に関する研究開発も行っている。

 

8.東北訪問所感

今回の東北訪問の印象は、自然の力の前には、現代技術(福島原発、護岸堤防、防災システムなど)はひ弱なものでしかない、との無力感だった。それと同時に、尊い命が2万人も失われたことの無念さだった。更には、津波被害の凄さだった。その反省から、以下に感じたことを列記する。

  (1)女川町では、1000年に1度の大津波のために、砂浜を埋め立てて津波に耐える15mの丘陵地にするとのこと。多賀城市のように、原状復帰し、避難搭や避難道路を整備する方法もあるのではないか。又、津波被害の少なかった松島の例を研究し、多数の島状のブロックによる津波対策もあるのではなかろうか。

  (2)そもそも、地震国日本に合った国のあり姿(生き方)を見直さねばならないのではないか。ユーラシアプレート、北アメリカプレート、太平洋プレート、フィリピンプレートなどが入り組んだ上にある日本列島。温暖で雨も多く、緑豊かな美しい国ではあるが、地球表面の動きに翻弄され、常の地震や津波に脅かされて生活していかなければならない。

  (3)地盤の不安定な日本の国土に原子力発電所は果たして安全に操業できるだろうか。又、使用済み核燃料の貯蔵場と管理をする場所としても国内には地盤の安定した場所があるのだろうか?地下300mに貯蔵しても冷却管理が必要で、沿道や冷却設備は地震に耐えうるのだろうか?疑問が益々深まる。

  (4)頑丈な土地基盤の上に建つ重厚長大産業から、地震に耐えて移動可能な軽薄短小産業への産業構造の転換が求められる。例えば、ロボット産業、情報産業、遺伝仕組み替え医療、など高度技術を開発し、産業化する等。

  (5)これからの社会は「持続可能な発展を目指した社会へ」移行しなければならない。デーリーは2005年、以下の通り、持続可能3原則を提示している。

1)人間活動から排出される廃棄物は環境容量の範囲内でなければならない。
2)再生可能資源は再生可能な範囲内で利用しなければならない。
3)再生不能資源は利用することで減少するストックを、再生資源が補ってくれる範囲内であれば利用してもよい。

この原則に従えば、化石燃料(再生不能資源)は、失われるストック機能を再生可能資源で補ってくれる範囲内でのみの使用に限定されなければならない。又、化石燃料の使用で発生するCO2の環境容量の範囲内に限定しなければならない。(地球の気温を2℃以上増加させないレベルがこれに該当するか。)

持続可能な発展の定義として、プルントラント委員会の報告書の中に、「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たす発展」と述べている。このフレーズから導かれる原則は「世代間の公平」であろう。これを適用すると、再生不能な資源を利用したことから得られる利得を、資源ストックの減少を補うだけの再生可能資源の開発に投資しなければならないことになる。(例としては、エネルギー企業が植林するなど)

この原則を適用すれば、化石燃料も原子力発電も再生不能な資源に属する。太陽光、風力、地熱、水力など再生可能エネルギー社会へ向かうことが求められている。

  (6)日本は温暖で雨に恵まれ豊かな(緑の多い)自然がある。これらの資源を利用したエコ観光業、安価できれいな水を供給する事業。暖流と寒流が合体する豊富な海産物が取れる海を利用した水産業。周辺海域にある海底資源を開発利用する産業などへの転換が求められている。東北は正に天然の宝庫である。もともと漁業や農業で生計を立てていた。幸いなことに三陸は強い風が吹く。従って、風力発電に向いている。2011年に施行された再生可能エネルギー特別措置法で電力会社買い取り価格が間もなく(20127月)決まる。

   ドイツの農家では風力発電や太陽光発電設備を設置して電気を売っている。東北でも同様な事業ができないはずはない。又、再生可能エネルギー設備やメンテのメーカーを誘致して、地産地消産業の育成もできる。東北の被災地は、再生可能な社会のモデルケースとなり得るチャンスでもある。復興投資を未来都市のモデル作りに使ってほしい。

最後に、この計画を立案、実施して下さった日本技術士会近畿本部環境研究会の世話役の皆様に深く感謝申し上げる。


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