細胞に学び細胞を越える:新しいマイクロ科学

著者: 藤橋 雅尚  /  講演者: 吉川 研一 /  講演日: 2021年4月22日 /  カテゴリ: 化学部会 > 講演会  /  更新日時: 2021年10月11日

 

近畿本部 化学部会 総会講演会

日 時 :2021422日  18:0019:00
場 所 :近畿本部会議室 & WEB(Zoom)方式

 

講演: 細胞に学び細胞を越える:新しいマイクロ科学

講師: 吉川 研一 京都大学高等研究院特任教授、
Chair of Biological Physics, IUPAP

1.はじめに

講師は、細胞のスマートさに学ぶ研究成果の中から、マイクロスペースの中でのゆらぎから作り出される空間的な秩序を見いだされた。そこから展開して、マイクロモータの駆動や、組織の病理診断に応用できることを分かり易く説明された。

2.人の細胞は高分子がCrowding(混雑している)状態

人体は、赤ちゃんの頃は水分が7080%、大人では5060%が水分であり、そこには多種多量の高分子が存在する混雑環境となっている。

生物化学とは一見して関係の無い物理的な考え方からゆらぎについて実験してみよう。図1は大きな球と小さな球を容器に入れて振動を与えた結果である(Sci.Rep., 8,437(2018))。左から順に粗の状態、密の状態、大球を増やした場合の結果であり、振動を与える前が下側、与えた後が上側である。粗の場合、大球は容器の壁面に移動するが、小球が密になると中央に移動する(大球が複数でも同様)。このような特異的な局在現象は、小球で混雑すると大きな球は壁面から排除された状態のほうが、エントロピー的に有利であるといったメカニズムで生じている。

    図1 振動実験

細胞で考えて見よう。図2に示すように中に入っているのは、核、ミトコンドリア、小胞体などの細胞内顆粒の周りには、高濃度の生体高分子が存在している。細胞内では常にブラウン運動によるゆらぎ運動が起こっているので、前述の振動盤での実験と同様に、エントロピー効果により、核やミトコンドリアが内部に押しやられて、図の様な構造になると理由付けできる。

   

高分子を水に溶かした場合、併進エントロピーではなくコンフォメーション・エントロピーが重要となる。例えば、デキストランとポリエチレングリコールの混合水溶液をかき混ぜると、ミクロな水/水相分離が起こり、細胞サイズの液滴ができる。この系にDNAを加えると長鎖DNAが液滴内に取り込まれる。さらにリン脂質を加えると、DNAを取り込んだ細胞様の構造を示すVesicle(小胞)が自発的に生じる(ChemBioChem,21,3323(2020))。自己組織的に細胞様の構造体が生成するといった実験手法は、今度の生命科学の基礎的な研究に有用と思われる、更には、特定のタンパク質などを創り出すことの出来る実験系として工学的な応用も期待される。

3.微小回転体について

モーターの製作では小型になるほど摩擦の影響が大きくなって回りにくくなる。限界を超えるとモーターと水や空気との摩擦が大きくなり回らなくなるので、mmサイズのモーターが技術的な下限と考えられている。

低濃度のマイクロチューブをATPの化学エネルギーで運動させても、各々の分子が直線運動をするだけであるが、高分子濃度を上げていくとmmスケールの渦運動が発生する(Nature,483,448(2012))。また、数ミクロンの空間で直流電圧を定常的にかけると、動画でお見せしたとおり安定な往復運動や回転運動が始まる(J.Chem.Phys.,150,14901(2019))。また、レーザーを使ってcmサイズの浮遊物体の運動制御が出来ることも確認できており(Appl.Phys.Lett.,117,73707(2020))、将来用途が見つかることを期待している。

4.組織の微小ゆらぎを利用した、病理診断

肝臓癌と肝炎の組織切片を、通常の病理検査の手法でスライドガラスに添付して、顕微鏡で調べた例を図3に示す。初期の肝癌の場合、腫瘍と区別がつかず発見の遅れることがある。

  

病理片をスライドガラスではなく、伸縮性を持つウレタンシートの上に置き、組織を伸展してみると、肝癌では細胞スケールの凸凹のあるひび割れが生じ、肝炎での伸展応答とは明確な差異が現れることを見出した。癌細胞同士の接着が弱くなっていることを反映していると考えられる。さらに、このようなひび割れを引き起こした組織折片を機械学習させてみたところ、ほぼ100%の正解率で、癌の診断を行うことが可能であることが明らかになった(Sci.Rep.8, 12167(2018))

5.終わりに

後追い研究ではなく、眼の前の現象に注目して面白ければ取り上げて研究してきた。今日はその一部について説明させていただいたが、ご興味があれば私の研究室のホームページに入ってきて欲しい。(https://dmpl.doshisha.ac.jp)

Q&A

Q 分子間力が生物の中でも寄与していることが分かった。研究成果はどの様に生かされているのか。

A 生命科学の分野では分子間の引力的相互作用で細胞内の現象を説明しようとしている。世界的にみて、生命科学ではエントロピーなど物理化学の考え方が欠落している傾向がある。生物、物理、化学、各分野間の障壁を乗り越えて研究を進めることが重要。

Q ミクロの領域とマクロの領域でのお話であったが、ウイルスのようなスーパーミクロの分野ではどうなるのか。

A 光学顕微鏡ではウイルスは見えない。電子顕微鏡なら見えるが死んでいる条件である。ウイルスの場合、蛍光色素を使って発光させる方式で、見える様になるのではと考えている。

Q 細胞の中では、重力の影響は小さいのか。

A 重力よりも、Brown運動的なゆらぎの効果のほうが大きいと考えられる。cmスケールではゆらがないがµmスケールではゆらぎが顕著になる。

Q 化学ではマイクロリアクターが利用されているが、もっと小さくしたらどうなるか。

A µm-nmでは、ゆらぎの効果を取り入れるとエネルギー効率を上げることが可能であろう。

(文責 藤橋 雅尚、監修 吉川 研一